1期 中 嘉代 (1970年生)

カレッジ1期
ゆめばセラピスト
ゆめばこ加東サロンオーナー

ゆめばカレッジ入校のきっかけ

私が小さい頃から、父は難聴で補聴器をつけていました。父と出かけた時は、私が耳代わりになり、聞いたことを大きな声で伝えていました。父は補聴器をしているのを隠したいのか、髪を伸ばしいつも整髪料でしっかり固め、風が吹いても見えない様にとても氣を使っていました。そんな父を見て育ったので、私は耳が悪くなるのをとても恐れていました。

プールで耳に水が入った時は、異常なくらい綿棒でさわり、いつも外耳炎や中耳炎を起こしていました。

耳鳴りがしだしたのは、20歳で就職した頃でした。その時は特に聞こえが悪いと感じなかったので、氣にしていませんでした。耳の聞こえが悪いなと感じたのは27歳で、次男を産んでからです。耳鳴りもひどいし、携帯が鳴っているのに氣付かず、ママ友が「鳴ってるよ」と教えてくれて、聴力が落ちていることに氣付きました。 

耳の不自由さが感じられてきたのは32歳で、上の子が中学生になった頃です。後ろから話しかけられても氣付かなかったり、小さな声で話しかけられても何度も聞き直したり…。その時、「聞こえが悪い」とちゃんと伝えていたら傷つくこともなかったのですが、何回も聞き直す「と「もういいわ」と言われたり、「中さん、耳が悪くなったね~」と大笑いされたり…。人と接するのが大好きだったので、コミュニケーションがとれないのはとても辛かったです。でも「聞こえない」と言う勇氣もなくて…。家族にも言えなくて、毎日お風呂でシャワーを浴びながら、死にたいと叫び、泣いていました。

お風呂で泣くと氣持ちも少しスッキリしたので、毎日その繰り返しでした。

40歳で補聴器をつけるようになりました。

41歳の時、眞由美さんと出逢い、すぐに施術を受けました。スクールに入り、その後カレッジに進みました。

カレッジでの氣付きと大きな一歩

一時は、車のウィンカーや洗濯機の操作音が聞きとれたのですが、その後また聞こえが悪くなりました。難聴がすすんでも公表することは私のプライドが許しませんでした。わからなくても聞き返すことはせず、曖昧に笑ってきました。障害者手帳をもらうことにも抵抗がありました。

外に出ると何かを聞かないといけない、誰かと会うと話さないといけない、家にこもりたい、でも子供には元氣に生き生きしてる姿をみせたい。自分自身もいつもなにかにチャレンジし、キラキラしていたいと思っていました。でも聞こえないから人と話すのは辛い…。自分との葛藤が続きました。

現在高度難聴(障害四級)です。

耳が悪くなり、普段の生活に支障がありますが、ようやく「これも私の人生」と受け止められるようになりました。耳が悪くなったからこそ、人の氣持ちがわかるようにもなれたし、ゆめばとの出会いもあったのです。

ゆめばの元氣を拡げるために自宅でサロンをオープンしました。

これからも出来ることは何でもチャレンジしていき、毎日ハッピーに暮らしたいと思っています。

ただ一度きりの人生だから…

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ゆめばカレッジ

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ゆめばカレッジは、座学と実習、日々の研修から、思考の癖を知り、「人生を思い通りに創る」波動の仕組みや心身の繋がり、ほぐし方を徹底的に学習する場です。
自分を知り、仲間と学ぶことで成長は加速し、喜びと自信に溢れた人生を歩むことができます。
言葉・行動などあらゆる面から感性を磨き、直感を信じて行動する強い人間力を育みます!

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